ADDだけど寝る

アラフォーにして、ADDが判明。
よく気の利くキレイ好きなしっかり者の女性になりたかったけどなれなかった。
ADDな自分をふまえて、過去と今を考察してみる。

中学校時代(ネガ子の支配)

部屋とYシャツと私(PV)

部屋とYシャツと私


昔に流行りましたね。

当時はこんなに自分と縁遠い歌とは思いませんでした。

しかも部屋とYシャツと私全部が。



さて、また中学時代を思い返してみます。


ネガ子が生誕してからの私は、我慢をすれば物事が上手くいくと信じはじめます。



この頃の女子達はとにかく「誰かと一緒に」行動をしたがりました。

一緒にトイレ、一緒に教室移動、休み時間も一緒、給食も一緒、登下校も一緒、時には友達と話をする為に別の友達とそこまで一緒に行くなど、今となっては意味不明な時にさえ一人で行動をするのを嫌がっていました。

私はそんな時期も過ごしつつ、なんでもかんでも誰かと一緒でないと行動できないのメンドクセーと思うようになっていました。


なので誰かに「一緒に〇〇行こう」と言われると(え、メンドクセェ)という思いがまず出てきました。

しかしネガ子はそんな私を冷たい人間だと判断します。

ネガ子「コロナが我慢して、笑顔で一緒に行けば済むのに。自分の我を優先しようとするなんて冷たいんじゃない? コロナ悪い子だね」

こんな感じで。


ネガ子の思う事に支配されていた私は、“確かにその通りだ”と信じてひたすら従いました。


誰かに頼られたら、できる限り応える。

私がその人を好きか嫌いかは関係ない。

裏切られても、謙虚でいろ。


かなり極端に書きましたが、こんな状態でした。

私の行動で誰かが喜んでくれる、感謝してくれる、ネガ子の言う通りだ。

そう思っていました。

(って、今思ったけど、私もしかしてアスペルガーもあるのかな汗)


その結果どうなったのか。

⇒優しいコロナ、頼りになるコロナと言われる

⇒嫌われていた人達とも仲良くなった

⇒みんなのいい所をたくさん見られた


ここまでとても良い結果です。

一方で


⇒自分が行動する時は誰も誘わない

(誘ってもメンドクセーと思われるかもしれない)

⇒ずっと仲良しだった友達と微妙に距離ができる

(広く浅くの交友関係になる)

⇒人の悪口を聞くのが怖い

(仲良くない人を勝手に性格悪いと敵視しているのが聞こえてしまう)


なんかいろいろ見えました。

見えましたし、失いました。


一人でいるのが一番楽だと思うようになったのはこの頃からかもしれません。

でもその一方で、一人になるのも怖い。

まだ未熟な精神で、日々人との距離に傷付きながら中学校時代を過ごしました。←ちょっと厨二病っぽく表現してみた。




ところで、昨日メモスキルについて書きましたが、身体に叩き込む体育会系のやり方では「やる気が無い」と思われるのであまりお薦めしません。

フリでもいいから、必死でメモしている・メモを見返している行動は必要です。

あ、フリって言っちゃったよ。

メモスキル

昔の職場で

プルルルルル プルルルルル

コロナ「はい、株式会社〇〇、コロナです」

取引先『お世話になっております。株式会社△△、✕✕です』

⇒メモ書き“△△、✕✕”

コロナ「✕✕様、いつもお世話になっております」

取引先『先日の納品の件ですが、□□さんはいらっしゃいますか?』

コロナ「はい、□□ですね。少々お待ちくださいませ」

⇒保留

コロナ「□□さーん、△△の、えーと……」

⇒メモチラッ

Σ(|||▽||| )相手の名前、メモの字が汚くて読めない

Σ(|||▽||| )しかも復唱したのに一瞬で名前忘れた

□□「△△の✕✕さんかな?」

コロナ「あ、そうです! その方からお電話です」

□□「あー、何の用事だって?」

コロナ「…………」

□□「…………」

コロナ「あれ、何だっけ?」

□□「ちょww コロナww いいよいいよ、電話出るから、何番?」

コロナ「す、すみません! 3番です」

□□「了解」

⇒( ´ : ω : ` )アァアァァァ……

笑ってもらえるのがどんなに救いだったか……

※若い頃限定です



ADHD、ADDはメモや付箋を貼りまくれと言われます。

もちろん、すぐ忘れるからです。

しかし、私にとっての問題はそこじゃあ無い。

そもそも、メモするのが苦手なのです。


これは昔から。

授業中、黒板に書かれている事をノートに書く、いわゆる“板書”というもの。

それは問題なく(多分)できていたのですか、先生の話をメモするというのはほとんどしていませんでした。

小学校、中学校の頃はそれで良かった。

高校に入ってから、先生の話で重要なものはノートの端にでもいいからメモしろと言われる。

はいはい、メモねー。

と思うけど、何が重要なのか分からない。

しかも、メモに気を取られると先生の話はどんどん進んでいく。

重要かも、と思った事をメモし始めると、メモする後半部分を忘れてしまう。

また、何かの手順を教えてもらう時にメモをすると、その行為に集中して覚えられない。

メモができた所で、結局必要な所が無かったり、途中で切れていたり、読めなかったり……。

そしてマニュアルやメモがあると思うとそれに頼ってしまって逆に覚えられない。


出した結論➡メモするより、その場で身体に叩き込んだ方が良くね?(゚⊿゚)


という超体育会系思考になり、メモスキルは上がらぬまま現在に至ります。

実際教えてもらって、その後も継続していくものは身体に覚えさせ、みんながメモを見ながら作業をしている中、1人メモいらずで過ごしています。

私って仕事デキる女(。・ω´・。)ドヤァッ

という気分をちょっとだけ味わえます。

勘違いって言うな、分かってるから。


しかし、問題は今日のブログ冒頭で書いたような瞬間的な記憶。

聞いた名前を一瞬で忘れる。

やろうと思っていた事を一瞬で忘れる。

買おうと思っていた物を一瞬で忘れる。

見た顔を一瞬で忘れる。

一瞬前に考えていた事を一瞬で忘れる。

挙げたらキリがない。

その部分だけ、スポンと抜けてしまいます。

別の何かに気を取られてしまったのかどうかもわかりません。

とにかく、どこかに落としてしまったように記憶から無くなってしまいます。


そんな時こそメモが必要なのだと思いますが、メモスキル初級の私には“メモする”自体を思いつかない事もあります。

思い出したとして、メモや付箋を用意している間に書く内容を忘れてます。


って、書きながら悲しくなってきた( ;∀;)


これってやっぱり治らないのかなぁ( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` )シクシク



切なくなってきたので、今日はこれにて。

悶々と考える


あるある


※boketeより拝借




「進撃の巨人」で、策士アルミンが素っ気ないアニに言った言葉があります。


「良(い)い人か・・・それは・・・その言い方は僕はあまり好きじゃないんだ。だって、それって・・・自分にとって都合の良い人のことをそう呼んでいるだけのような気がするから。すべての人にとって、都合の良い人なんていないと思う。誰かの役に立っても、他の誰かにとっては悪い人になっているかもしれないし・・・だから・・・アニがこの話に乗ってくれなかったら、アニは僕にとって悪い人になるね・・・」


アニを説得している最中の言葉で「アニは僕にとって悪い人になるつもりなの?」という意味を含んでると思いますが、アルミンの「良い人悪い人」の定義がとても印象に残っています。


初めて読んだ時には、「流石アルミン、口上手いな」と思うだけでした。

※実際には、流石諌山先生

でも、思い出す度にいろいろと考えます。


私の中のネガ子が求めてくるのは常に「良い子」

それに従っていると、確かに「良い人だね」と言われます。

でもその一方で、もしかしたら誰かを傷つけているのかもしれないと思う時があります。


私が「良い人」を振舞う事で、全く悪意の無い人が「悪い人」と認識されてしまう。

そうなると当然、その人にとっての私は「悪い人」です。

ネガ子の希望は、結局上辺だけの「良い子」なのかもしれません。


そしてアルミンのセリフ通り、ネガ子の「良い子」は、相手にとって都合のいい行動をする事。

相手を不快にさせない為の行動で、それが私自身の希望の行動なのかどうか、本当の所はどうなんだろう?


相手を不快にさせない=ネガ子が安心する=私も安心する

相手に感謝される=自分の存在に安心する


結局は自分の為なんじゃないだろうか。


良い子になるのは、優しくするのは自分の為。

そう考えると「良い子」も「優しさ」も、ただの保身の様に思います。


だからと言って、どうしたらいいのか見当もつきません。


もし少しでも「嫌だ」と思ったら、「嫌、関わりたくない」と言うのが正解なんだろか?

流石にもうそんなワガママ言ってる歳じゃなしw


本当の優しさ……、大人の対応……、ネガ子との軋轢……


うーん、分からん󾭛󾭛


(˘-ω-˘ )悶々……