中学校時代(ネガ子の支配)
部屋とYシャツと私
昔に流行りましたね。
当時はこんなに自分と縁遠い歌とは思いませんでした。
しかも部屋とYシャツと私全部が。
さて、また中学時代を思い返してみます。
ネガ子が生誕してからの私は、我慢をすれば物事が上手くいくと信じはじめます。
この頃の女子達はとにかく「誰かと一緒に」行動をしたがりました。
一緒にトイレ、一緒に教室移動、休み時間も一緒、給食も一緒、登下校も一緒、時には友達と話をする為に別の友達とそこまで一緒に行くなど、今となっては意味不明な時にさえ一人で行動をするのを嫌がっていました。
私はそんな時期も過ごしつつ、なんでもかんでも誰かと一緒でないと行動できないのメンドクセーと思うようになっていました。
なので誰かに「一緒に〇〇行こう」と言われると(え、メンドクセェ)という思いがまず出てきました。
しかしネガ子はそんな私を冷たい人間だと判断します。
ネガ子「コロナが我慢して、笑顔で一緒に行けば済むのに。自分の我を優先しようとするなんて冷たいんじゃない? コロナ悪い子だね」
こんな感じで。
ネガ子の思う事に支配されていた私は、“確かにその通りだ”と信じてひたすら従いました。
誰かに頼られたら、できる限り応える。
私がその人を好きか嫌いかは関係ない。
裏切られても、謙虚でいろ。
かなり極端に書きましたが、こんな状態でした。
私の行動で誰かが喜んでくれる、感謝してくれる、ネガ子の言う通りだ。
そう思っていました。
(って、今思ったけど、私もしかしてアスペルガーもあるのかな汗)
その結果どうなったのか。
⇒優しいコロナ、頼りになるコロナと言われる
⇒嫌われていた人達とも仲良くなった
⇒みんなのいい所をたくさん見られた
ここまでとても良い結果です。
一方で
⇒自分が行動する時は誰も誘わない
(誘ってもメンドクセーと思われるかもしれない)
⇒ずっと仲良しだった友達と微妙に距離ができる
(広く浅くの交友関係になる)
⇒人の悪口を聞くのが怖い
(仲良くない人を勝手に性格悪いと敵視しているのが聞こえてしまう)
なんかいろいろ見えました。
見えましたし、失いました。
一人でいるのが一番楽だと思うようになったのはこの頃からかもしれません。
でもその一方で、一人になるのも怖い。
まだ未熟な精神で、日々人との距離に傷付きながら中学校時代を過ごしました。←ちょっと厨二病っぽく表現してみた。
ところで、昨日メモスキルについて書きましたが、身体に叩き込む体育会系のやり方では「やる気が無い」と思われるのであまりお薦めしません。
フリでもいいから、必死でメモしている・メモを見返している行動は必要です。
あ、フリって言っちゃったよ。