ADDだけど寝る

アラフォーにして、ADDが判明。
よく気の利くキレイ好きなしっかり者の女性になりたかったけどなれなかった。
ADDな自分をふまえて、過去と今を考察してみる。

実は

ずっと考えていた事があるんすよ。


このブログってさ、私がADD、もしくはADHDであるのを前提に書いていた訳なんですが、実際の所ちょっと違うのではないかと思っているのですよ。


あ、整理整頓が苦手だったり期限を守れなかったり衝動的にやりたい事があったり、そういうのはもちろんあるのでそういう要素があるのは間違い無いと思います。


んが、しかし、それだけじゃない可能性の方が高いんじゃ無いかと思っている次第です。


もしかしたらやや重い話になりかねないので、癒やし画像置いておきますね。



天使
いや、神と言って差し支えないだろう。
私は「愛」というのはごく少量なのかもしれませんが、全てをこの子に捧げております。
そう、猫とは神です。



というのはさておき。


私がADDやADHDでないかもしれない理由。
以前書いた事と重複するかもしれません。
※絶対そうじゃないとは言いません。小さい頃はクソガキでしたから
①ストラテラが全く効かない(効いているのか結局分からない)
②仕事はそれなりにできる(ウチだクレペリンとかそこそこハイスコア)
③コミュニティ能力は結構ある、というか人見知りしない
④(無駄に)落ち着きがある←できる事なら動きたくない
⑤いつも相手の顔色と欲しいものを探りながら会話する
⑥いつも良い子で、我慢強く自分を犠牲にする事を美徳としている
⑦他いろいろ


後半ちょっと個人的なアレですけれども。


最早、何年カウンセリングを受けていたのか覚えていませんが、ここ一年くらいで少し気づいた事があるのですよ。
今まで片親なりに、それなりに一般家庭で育ってきたつもりでいたけれど、どうやらちょっと違うかもしれない。


忘れかけていたけれど、思春期の頃から私は家族とほとんど話をしていません。
していないどころかできるかぎり距離を取ろうとしていました。
とは言ってもどこに行くにも一々報告をしなければならない。
それがとても嫌でした。


他に、「良い子」でいる事、これをかなり強要されていました。
ここで言う「良い子」というのは、親が期待する通りの「良い子」でいる事です。
ウチは母親と祖母の嫁姑関係が非常に悪く、祖母は重度の自己愛性パーソナリィ障害でした。
「良い子」というのは、その祖母の機嫌を損ねる事無く言いなりになれという事です。
祖母の理不尽から私を護るという事はありませんでした。
小さい頃はただ、母親を呼んだら来てくれる存在で居て欲しかった時期がありました。
我慢する事を覚えさせる為なんでしょうが、どんなに呼んでも来てくれなくて泣いていた記憶がおぼろげながら残っています。
とにかく我慢しなさい、良い子にしてなさい。大人の言う通りにしなさい。
そんな幼少期でした。
ほとんど記憶にありませんでしたが、私が騒ぐと外からしか鍵が掛けられない部屋に閉じ込められる事もよくあったようです。
くさい物には蓋理論ですかね。


当の母親はせっせと働きに出かけ、仕事と近所付き合いに自分の拠り所を見出していたようです。
当然クソガキの私が良い子になれるはずも無く、どんどん祖母とも母親とも口を聞かなくなっていました。
でも、学校では友達も多く、それなりに楽しく過ごしていたと思います。
家庭訪問で先生から「コロナは内弁慶なのかー」と言われた記憶がありますが、その時は意味が分からなかった。
今はなんとなく分かります。
外と家でも私は別人格だったと思います。
そんな中でも親には勝手に期待されて、思い通りの結果を出せないといつも勝手にがっかりされていた。
それが本当に辛かった。
それは今でも、仕事でも期待されるのは凄くプレッシャーです。
期待はしてないけど、とりあえずやってみて、くらいの扱いが一番楽です。


多分、ここには書き切れない事、思い出せない事、いろいろあります。


つまりはですよ、私が一番近いのADHDやADDよりも愛着障害に近いような気がしています。


以前書いた事がありますが、私は共依存体質です。
直そうと思っていますが、現在はどうなっているのか分かりません。
相手いねーしw


私にとっては理不尽な要求をされた時でも、我慢して耐えるのが「良い子」だったんすよ。
良い子になれなかった自分がそこでは良い子になれた気がしてズブズブハマっていってしまう。
もちろん、いい結果にはなりませんけどね。


長々と書きましたが、カウンセリング受けていて、自分の親が毒親に足を突っ込んでいた人、もしくはほぼ毒親だったのかもしれないと気づきました。
片親でありながら大学まで行かせてもらって感謝しないととずっと思っている(間接的に感謝しろと言われる)一方で、親子の愛情ってそこにあったのか、未だ分かりません。
そして、母親の母親も毒でした。
昔の閉鎖社会の中ではそれが当たり前と思われていた部分もあります。
私は子供が居ませんので、実際母親の経験のある方からは甘えんなクズと言われてもおかしくないっすね……。
ごめんなさい。


ネットやら心理学の勉強やらで親子の愛情のあり方を目の当たりにする度に感じていた違和感がありましたが、こういう事だったのかな、と。
いや、分からないけどね。


いろいろ情報集めつつ、現在心に留めておこうと思っている事があります。
・何か辛い事があった時、どうして自分だけ、どうして自分ばっかり、と思わない事
 誰だって辛い事あります。
 自分がそう生きてきた結果です。
・そこから這い上がる時に何かを学ぶ事
 ちょっとスピリチュアル入ってるかも(あ、引かないで泣)
 辛くてもそこでしか学べない事があるはず。
 その為に自分で選択して自分で這い上がるプログラムだと思う。





……真面目に書いてしまった……。


真面目に書いたけど、でも、今目の前にある大事なものを一番に考えようと思うよ。

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