ADDだけど寝る

アラフォーにして、ADDが判明。
よく気の利くキレイ好きなしっかり者の女性になりたかったけどなれなかった。
ADDな自分をふまえて、過去と今を考察してみる。

脱力系ヤル気

前向きな意識高い系のノリについていけない。



さて、今日は“ヤル気”について。


私は“競争社会”や“尻を叩かれる”のが苦手です。

周りはみんなライバルとか、目標をつくれとかそういうの。

こんな事思ってると、向上心が無いとか言われるのは承知ですし、それによって自分が不利益になるのも分かっています。


悔しさをバネに頑張れ!

何クソと根性見せろ!

負けて悔しくないのか!


こんな言葉で発破かけられる事はありますが『うへぇ、メンドクセー』になってしまいます。

勉強でも仕事でも成績を張り出して、目標達成した〇〇さんに拍手とか、来月の目標とかスローガンとか。

実際、その方がみんなのやる気アップにつながるので止めた方がいいと主張する気はありません。

その中で溜め息をつく人もいるというだけです。


私は好きな事は誰に言われなくても全力ですし、嫌な事は何を言われてもうまくできません。

むしろ強制される程どんどん嫌になります。

相変わらずガキンチョ思考です。


負けて悔しいだろ? 悔しかったら見返してみろ!

⇒特に悔しくないです。


コロナさん、次は負けませんよ!

⇒あ、そういうライバル心面倒なので、あなたの勝ちでいいです。


具体的な目標を作って頑張りましょう!

⇒それ作ってる間にこっちの作業進めておきますね。


THE ほっといてくれ

(口には出しません)


楽しく仕事してても、この手のノリが出てくるとゲンナリしてしまう。

ヤル気グラフがどんどん下降してしまいます。


どこにいってもこのやり方を見かけるので、きっとそれでみんな成績が上がるのでしょう。

一方、私は自分のペースがおかしくなって何もかも面倒になってしまう。

気にせずマイペースでいようとしても「ちゃんと目標を意識してるか?」「〇〇はもうすぐコロナに追いつくぞ。負けないように頑張らなきゃな!」


(´Д`;)うへぇ


言い訳がましいですが、言われなくても仕事はちゃんとやってます。

それなりの成績も出してました。

失敗はもちろんしますが、その責任はできる限り取る覚悟もあります。




私の勝手な分析ですが、ADHD、ADDの方はヤル気は誰かにふっかけられて出てくるものとは違うのかな、と。

自分がそれを好きなら、誰よりも頑張ります。

苦手でも、うまくできないながらやってみます。

結果、うまく出来ずに怒られると、苦手から面倒くさいに、面倒くさいから嫌いに、嫌いだから先延ばしに……

悪循環です。

もう1度言いますが、私の勝手な分析です。



しかし、勝手にライバル心燃やしてくるのは止めて欲しい。

もうね、欲しい物全部譲るので根掘り葉掘り聞いてくるのと、毎回欲しくない報告あげてくるの止めような。

やりたいなら、同じ類の他の方にどうぞ。



眠くなってきたので、寝ますー( ˇωˇ )

大学時代(自由の翼)

私の特技はどんな比率のカレーライスでも、最後はカレーとご飯を同時に食べ終えることです。

必要に迫られればいつでも披露します。

(立体機動装置の剣を構えながら)




本日は高校も無事卒業し、大学へと進学したコロナのお話です。


以前にも書いたように、私は自分の家から逃げたかった。

行きたい進路があったのに乗じて、都会で一人暮らしを始めました。


初めは不安があったのだと思います。

何度か吐いたり、寝てもすぐに起きてしまうなどがありました。


しかしすぐに大学が始まり、いろいろな変化が訪れました。


“都会の人は冷たいよ”


そんな風に言う人もいましたし、私も恐る恐るな所がありました。


しかし、都会の風はとても優しかった。

なぜなら、自分と違う考えを持つ人もそれは個性として受け入れてくれるから。


もちろん全ての人がそうではないのですが、自分と感性が違う人を“異常”と判断する人はかなり少数です。

少なくとも私が住んでいた田舎よりも。

また、私の進路が心理学なので変わった思考の人に対して異物を見るような目を向ける人はいませんでした。

そもそも、心理学を学びたい人は少し変な人が多いですけど。

何かしらコンプレックスを持っていたり、変わった嗜好があったり。


もちろん、心理学に関係の無い人でも、余所者扱いをして排他的な態度をとる人はほとんどいません。

知らない人がやってくる事に慣れてるんでしょうね。

これだけ人がたくさんいて、どんどん増えてどんどん入れ替わる。

近所全員の家族構成から親戚付き合いまで観察する余裕も暇も無いし、踏み込んで行く事も無い。

賃貸なら、来年もその人同じ部屋にいるかどうかさえ定かでは無い。



私ももし、田舎の密着した生活が好きで、周りのみんなと同じものを好きになって、同じ趣味を持って、何事も支え合いながら生きてきたら、確かにそれを冷たいと受け取るのかもしれません。

でも、私はそうじゃなかった。


それまでずっと違和感を覚えながら生活していた。

ずっと誤魔化して生きて来ていた。

でも、ここにいたら自分を偽らなくても受け入れてくれる。

私が私でいても、それを影で噂される憂鬱もない。

あの人は嫌いだと悪口を聞かされて、強引に同意を求められる事も無い。

近所の目に怯えなくてもいい。


そう思ったら、周りの風景が広くなった。

景色が濃くなった。

目が開いたような感覚があった。


それこそ、『進撃の巨人』で壁の外に出て広い世界を目の当たりにしたような気分でした。

『進撃の巨人』はもちろん後付けです。



そんな訳で、大学時代の変化を追ってみます。



あ、田舎が悪いと言っているのでは無いですよ󾭛

同じ日本でもその土地柄というものがあります。

それが合う人もいれば合わない人もいる。


私ははみ出し者でしたので、はみ出さない所もあるんだと感動したのですよ。

元からはみ出してなければ、その場が居心地の良い場合になったのだと思います。


都会ははみ出し者や変わり者でも住みやすく、先住の方々もそれに慣れている土地。

と思いました。


もっといろいろ背負ってる人も、夢や自由を求めて来る人もいるよ∠(゚Д゚)/イェェェガァァ

写真と私

幽霊怖いです。

でも、出掛けてる間に掃除してくれる方なら歓迎します。

掃除方法指定しません。

年齢・性別問わず。

ただし、呪わない方限定。


謝礼:好物等ございましたら、相談ください




ADHD、ADD関係無いと思いますが、私は写真をあまり撮りません。

ただ、昔からそうだったのかと言えばそうではありません。


今ではデジタルカメラ主流で携帯にもほぼ必ず付いています。

その昔のまだフィルム時代、写ルンですなどが流行っていた頃はむしろ率先して撮っていた記憶はあるのですが……。


何がきっかけで撮らなくなったのかは分かりません。

特にきっかけなく段々興味が無くなってきただけかもしれません。

気付いたらそうなっていました。


時代の流れは私とは逆に、撮りたい時は誰でもすぐに写真が撮れるようになりました。

どこに行っても、写真撮ろう! 記念に残そう! という光景を目にします。

例えば会社の飲み会、友達との食事、珍しい出来事、みんなすぐに携帯を出してパシャパシャ。

一人が始めると、私も俺もと始まってみんなでパシャパシャ。


私も写真に残したい! と思ってパシャパシャしていた頃もありましたので、よく分かります。

分かりますが、なぜか今は写真を撮る気が起きません。

私も写真撮らないと楽しんでないと思われそうで、携帯出してパシャパシャする事もありますが、あまり気乗りしません。


その場が楽しくない訳じゃないんです。

すごく楽しいし、食べ物も美味しいし、珍しいものを見たらスゲーって思います。

でも、それを写真に撮ろうと思わない。

気が向いたら、ウチの猫達を撮るくらいです。


なんでだろう?

昔は好きだったのになぁ……。


好きな画像を見て保存したり、それを誰かに見てもらうのは好きなんです。

動画も好きですし、絵も好きです。

だから多分、画像そのものを頭が拒否してるのでは無いと思うのですがσ(・´ω・`*)


自分を残しておくのが嫌なのかな?

思い出を作るのが嫌なのかな?


よく分かりません。


今は昔と違って、誰でもキレイにすぐ写真が撮れます。

加工も編集もできるし、簡単に自撮りもできるし、写真好きならパラダイスな環境なのに。

勿体ないなぁと思う一方で、やっぱり写真に意欲が湧かない。


どこかに写真を撮る意欲を落としてきてしまったのかもしれません。


どこだろ?