ウザコロ徒然草~夕顔を添えて~
昨日、香山リカ先生の本を「ゲームと心理学」と書いていましたが、正確には「テレビゲームと癒し」です。
いやー、適当でごめんなサイコロステーキ(´>∀<`)ゝ
本日、タイトルにある様に思いつくまま書いていきます。
○明日やる事
ガソリン入れる
いろいろたまってる支払いを出来るだけ処理する
マカフィー買う
起きる時間次第ですが_(-ω-`_)⌒)_
あ、ウザコロってウザいコロナの略です。
ほら、若い人って何でも略すじゃん?
これちょっとした若いフリじゃん?
話変わりまして、私はひねくれ者です。
どうひねくれているかと言うと、リアルはバッドエンドだと思っているからです。
ちょっとよく分からないですよね。
以下【無気力とウザコロ注意】
「辛い思いをした分、これから幸せが来る」
「信じれば夢は叶う」
「幸せはみんな平等にある」
それに似た言葉いろいろ……
この様な言葉を聞くと、私の心の中で、ょぅι゛ょコロナが毒を吐きます。
ヽ(*゚∀゚*)ノ「コロナね、それしってる! それ、“きれいごと”ってゆうんだよね」
※ムカついた方はブラウザを閉じましょう。
もっとムカつく事になると思います(*>ㅅ<)
いえ、分かるんですよ。
この言葉が支えになる、心が前向きになる。
そういうの、とても大事です。
だけど、本当の現実を見て、本気でそれ思うの?
と、引っ掛かってしまうのです。
望まれず産まれて、虐待され骨になった状態で見つかった子供。
食べ物も充分でないのに労働力として数えられる子供。
苦しんで苦しんで助けがどこにも無い状態で自ら命を絶つ人。
何も悪い事はしていないのに、無差別殺人や災害に巻き込まれる人達。
毎日ニュースで淡々と語られています。
人間以外の動物や、魚や虫まで含めたら例を上げきれません。
そうなると、「前世で~」とか「ご先祖様が~」とか言う方もいますが、本人が納得するならそれでいいと思います。
それが1番なのだと思います。
ただ、私が思うのは、そういった現実がある中で救われた話や報われた話を全てだと思ってしまうのが何だかなぁと感じてしまうのです。
だからかもしれませんが、熱血タイプの方はちと苦手です。
「努力は報われる」「努力は裏切らない」と言われていました。
最近は「努力は報われるとは限らない。しかし成功した人は皆努力している」と言われたりします。
こちらの方がまだ分かります。
でも、まだ弱い。
「努力は報われるとは限らない」
もしかしたら、これが私の根底にあるから無気力になってしまうのかもしれません。
多分「報われる」のをゴールだと思ってしまうとダメなんだろうな、と思ってみたりします。
よく分からないけど。
楽しいからやる。
好きだからやる。
私の行動原理はこれだけなのかもしれません。
獣か。
あ、こんな考えしてるけど、誰かのやる気を削ぐような事はしないし、こんな事言いません
あと、リアルはバッドエンドというのは、例えばゲームや物語ではハッピーエンドより語られないバッドエンドの方がリアル世界では多いんじゃないかと思っているからです。
頑張ってる人はこんな考え方しちゃダメ。
少し話が逸れましたが、タイトルにも添えられた“夕顔”の話
これは「源氏物語」の“夕顔”です。
もっと正確には「あさきゆめみし」の“夕顔”です。
「あさきゆめみし」を描いたのは大和和紀さん。
「はいからさんが通る」の作者ですよ( ✧゚д゚ )
その“夕顔”が、源氏に幸せかどうか聞かれるシーンがあります。
それに夕顔は答えます。
「幸せですわ、神様のくださった分だけ」
もうね、ひねくれ者の私はこれで涙止まらんのですよ。
夕顔の辛かった過去をひっくるめて、健気さや芯の強さがすんごい伝わってくるのです。
上に書いた努力とかやる気とかみんな平等とか、なんかそんなの全て凌駕してる台詞だと思います。
結局、夕顔は六条御息所の生霊に殺されてしまいますが、その儚さや身の上さえ夕顔はそのまま恨みなく受け入れるのでしょう。
ちなみにその六条御息所の生き方も私は好きだ。
てか、源氏って今いたらサイテー男よ(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
夕顔のように生きられたらなぁ、と思います。
では、明日は今日書いた明日やる事リストをどれだけ進められるかなー。