ADDだけど寝る

アラフォーにして、ADDが判明。
よく気の利くキレイ好きなしっかり者の女性になりたかったけどなれなかった。
ADDな自分をふまえて、過去と今を考察してみる。

勉強と私

大学時代

(今日は午後だけ行けば終わり)

(その後の飲み会楽しみ)

⇒ドア開けて外へ

(カギしめ……)

(あ、靴のストラップが外れてる。留めなきゃ)パチッ

⇒学校へ

⇒夜帰宅

(んー、楽しかったー。カギ開けて、と)カチャ

(あれ? カギが閉まった?)ガチャガチャ

(もしかして、カギ開いてたのかな?)

(でも家出る時カギ持ってた記憶が……)

(あ! 出しただけでカバンに戻しちゃったんだ!)

⇒_(」∠ 、ン、)_チーン


カギの掛け忘れは良くあったけど、1度も泥棒に入られた事はありません、多分。



今日は勉強というものについて。

勉強は、私にとって未だに釈然としない所があります。


一般に言われる“勉強”

私は多分、よくできていた方でした。


小学校の頃は何もしなくてもテストは大抵100点かそれに近い点数。

そもそも、テストする意味がよく分らなかった。

普通に考えれば誰でも分かるじゃん、勉強って何するの?

それより遊んでた方が楽しいのに。

という思考でした。

ここでもクソガキっぷりを発揮。


中学校に入ると、勉強勉強勉強と周りが言い出す。

みんな、なんでそんなに勉強好きなの!?

でも確かに、テスト前にいろいろ覚えないとテスト分からないや。

⇒ここで一夜漬けを覚える

(ちなみに、中学校の時は置き勉という技を習得し、忘れ物が減った)

でも、私がしていたのは“勉強”ではなく、“暗記”だったように思います。

それでもテスト順位はかなり上にいたので、出来るだけ勉強は避ける方向で生活。

テストの為に1週間前から勉強してると話を聞くと、(それじゃテスト当日には忘れちゃうじゃん)と密かに思っていました。

高校は、友達も多く志望していたそこそこの進学校へ


高校でも一夜漬けが大活躍。

ただ、前述の通り私がしていたのは“暗記”

しかも翌日のテストが終われば内容はどこかへすっ飛んでいきます。

模擬テストなるものはいつも散々な結果でした。

3年になると周りは受験勉強ムード。

友達も先生も勉強勉強勉強、受験受験受験。

しかし私は何をしていいのか分からず、どんどん落ちこぼれていきました。

得意科目と苦手科目の偏差値は30程も差が出てしまう。

勉強って何すればいいの?

覚えるのが全範囲って、じゃ、まず何したらいいの?

問題解けばいいの?

解いたらそれで勉強したって事になるの?

そしたらテストの点数良くなるの?

頭の中大混乱。

今まで頼ってきた一夜漬けは全く通用しない。

それでも一丁前に“夢”を持っていて、どうしてもその分野に進みたい! という気持ちはありました。

でも、分からない分からない。

でも、勉強しなきゃ勉強しなきゃ。

周りからも勉強しろ勉強しろとプレッシャー。

もう、頭の中パニック。

“勉強”というモノサシでしか大学は人を選べないのか。

“勉強”が人の人生を左右するのはどうなのか。

どんどん斜め上の思考になっていきました。

追い詰められるような圧迫感に潰されつつ、受験を迎えました。


結局、行きたい大学は当然落ち、得意科目だけで挑めた大学に進むことに。

一応行きたい学部でしたし、家を出て新しい生活をスタートさせたい、と。

(もう受験とか名前聞くのも嫌)


大学は、とても自由で楽しくて、たくさん思い出ができました。

その辺はまた後日。


受験の次の試練、“新卒での就職活動”でも同じ事思ってたなぁ_:(´ω`」 ∠):_


受験や新卒の就職活動でバリバリ頑張っていた人を見ると、本当に尊敬します。

大学や会社のブランドなんて何でもいい。

あの暗黒期を強く乗り越えた方は、最早神に近いと思う。



現在

仕事は転々としていましたが、その都度覚えられるものは誰よりも早く覚え、覚えられないものは何度聞いても時空の狭間へ飛んでいきます。

会社から資料を貰って、「これ読んできて」というのは勉強の1つなのでしょうか?

むしろこれは宿題?


みんな、興味無い事を覚えるのにはどんな工夫をしてるんでしょう?


勉強の定義が未だわからない。



では、おやすみなさい_(-ω-`_)⌒)_

家族って

家が汚い。

そうだ、友達を呼べば必要に駆られて掃除するかも!

以前、よく友達呼んでた時は結構キレイにしてた気がする!

⇒1週間後に友達(協力者Y)とウチで遊ぶ約束をする

燃えるゴミの日も2回あるし、資源ゴミの日もあるし、行けるっしょ。

⇒1日目

仕事疲れた……。

今日に限って残業3時間かよ……。

まだ日にちあるし、明日やろう。

⇒2日目

ゴミいっぱいあるなー。

何時間かかるかなぁ。

(ˇωˇ)スヤァ…

⇒3日目

昨日寝ちゃって燃えるゴミ纏めてなかった。

次の燃えるゴミまでには纏めないと汗

今日はダンボール片付けて……。

あれ、なんでこんな所にガスの請求書が。

しかも期限過ぎてる!

:;(´◦ω◦`);:

⇒4日目

ダンボール出せなかった……。

友達来る時はクローゼットに入れておこう。

ペットボトルは近くに捨てる場所あるから、そこに捨ててこよう。

あ、缶もあったんだ。

缶、缶……、出せるのは来週だ。

ヾ(・ω・`;))ノぁゎゎ

⇒5日目

結局、何もできてない……。

どうしよ、このままじゃ間に合わない。

とてもじゃないけど、こんな部屋に人呼べない。

どうしよどうしよ……。

スマホポチポチ……。

⇒6日目

もう、徹夜して片付けるしかない。

ゴミ出しは諦めて、とりあえずベランダに出すしかない。

でも、この量のゴミをベランダに出したら、近所迷惑なんじゃ……。

夜中に掃除機かけるのも非常識なんじゃ……。

やっぱり私、とんでもないダメ人間だ( ;∀;)

スマホポチポチ……。

⇒当日

「Y、ごめん。部屋片付かなかった。本当に申し訳ない……。美味しそうなランチがあるお店見つけたから、そこどうかな? どうかお詫びにご馳走させてくだせぇ。今日は全部エスコートさせてくだせぇ」

Y、まじごめんよぉぉ_○/|_



今日、昼寝してたら父親の夢を見ました。

家族の事に触れてみたいと思います。

我が家のしこり部分とでも言いましょうか……。


産まれた時、家族は両親、姉、父方の祖父、祖母がおりました。

小さい頃の記憶は余りありませんが、私が6歳の時に父親は病気で亡くなりました。

痴呆気味だった祖父は悪化し、施設へ入り、2年後に亡くなりました。

コロナ家、女ばっかり。


問題は祖母でした。

とても気が強く、嫉妬深く、わがまま。

母親はいつも振り回されていました。


以下、最近になって母親から聞いたものです。


結婚後のタイミングで、父親はずっとやりたかった仕事に転職したらしいのですが、嫁のせいで息子は仕事やめさせられたと嘆いていたとか。

また、姉が産まれると可愛い可愛いで離さない。

お昼寝も抱えっぱなしで母親に渡さず、夜泣きをすれば夫婦の部屋に入ってきて姉を自分の寝床に連れていく。

それはそれは酷いストレスだったらしいです。

自分で抱ける子が欲しいと作ったのが私らしく、母乳で育てて祖母には渡さないようにしついたそうです。

それなのにこんな娘に育ってしまってゴメンよママン( ;∀;)


父親には、子供にも会わせるし離婚もしないから別居して欲しいと頼み込んだものの、そこは自分の母親である祖母を無碍にできず、男泣きして謝っていたそうですが……。

病気になったのは、その板挟みのストレスもあったんじゃないかと母親は言っていました。

父親は、具合が悪くなって間もなく病院で亡くなりました。

その時私も居たのですが、うっすらとしか覚えていません。


母親はその後、子供を連れて出ていこうとしたそうですが、祖母に引き止められる。

「孫が居なくなったら死ぬしかない、死にたい死にたい。首吊って死にたい」

と、こんな感じで。

息子を失った悲しみもあるでしょうが、この「死にたい」攻撃は今後もずっと続いていきます。


その後母親は仕事を始め、私はとても寂しかった記憶があります。

痴呆が進んだ祖父は怖かったのですが、程なく施設へ。

祖母はそれなりに可愛がってくれていたのだと思いますが、何だか怖い。

私がわがままを言えば湯呑みが飛んでくる。

友達を呼んで遊んでいても、祖母の中の常識から外れた行為をすると怒鳴る(友達も)

「コロナちゃんのおばあちゃんて怖いねー」

と、よく言われました。


成長するに従って祖母の異常性に耐えられず抵抗するようになると、私には余り干渉してこなくなりましたが、母親と姉には相変わらず。


大学に進学すると同時に家を出ましたが、祖母の非常識な話を聞くたびに悲しくなりました。

そして、家から逃げた私は「ズルい」なと、今でも度々思います。

でも、耐えられなかった……。

帰省すればもちろん、祖母はいたのですが、できるだけ顔を合わせないようにしていました。


何度か母親に「再婚相手見つけないの?」「こっちで暮らそうよ」と持ちかけた事があります。

もしかしたらとても無神経な言葉だったかもしれません。

私が結婚でもしていれば、母親も子供の心配から開放されて自分の人生を進めたのに。

(姉は結婚してます)


でも、結婚てこんなに辛いものかと思うと、何が良くて結婚するのか分からなくなります。

その前に私が男だったらこんな嫁いらんけどなww



ちなみに祖母は昨年亡くなり、コロナ家は母1人娘1人でまったりと親子しています。

母親と祖母の話は、そのまったり中に聞いたものです。


母親に幸せが訪れますように(ㅅ´ ˘ `)

某販売店で働いていた頃

(あ、商品が切れてる。補充しないと)

⇒バックヤードへ

(……何取りにきたんだっけ?)

(まだ思い出したら来よう)

⇒売り場へ

(あ、そうだ、これ! この商品を補充しようとしてたんだ!)

⇒バックヤードへ

(…………えと、どれ補充するんだっけ?)

(後でまた来よう)

⇒売り場へ

⇒数十分後

(レシート切れそう、変えなきゃ)

⇒バックヤードへ

(レシート、レシート、あった)

(あ、これ、補充しようとしてた商品これだった!)

(レシートも持って、商品も持って)

⇒売り場へ

(よし、セット完了!)

⇒数時間後

(さて、在庫確認しよ)

⇒バックヤードへ

(あ、商品補充しようとして何回も忘れてた)

(そうそう、これ出さなきゃ)

⇒売り場へ

積み上がっている商品を見て、補充した事を思い出す

⇒…:(´;Д;`):



ADD関係ないと思いますが、私は夜が好きです。

夜型というだけなんですけどね。


夜は寝る時間、朝は起きる時間、それが健康な人間の生活。

という考え方は、私にはちと窮屈です。

昼型の生活が一般なのは分かっていますし、それは理想なのは充分理解しています。


大人になってからの習慣ではなく、小さな頃から朝は苦手でした。

なので学校に行くのはかなり苦行でした。

叩き起されてボーっとしながらも遅刻せずに学校へ通えていたのは親のおかげだと思います。

今まで何度も昼型の生活にしようと試みたのですが、体調も悪くなるし、頭も働かないし、早起きって全然健康にならないジャン↑

もう、生まれつき身体が夜型なのだと開き直っています。


夜は静かで頭も冴えるし、身体も調子が良い。

そして午前中はよく眠れる。

ただ、外に出ても閉まっているお店や施設が多いのが難点。

こればっかりは仕方ないですね。



朝シャキーンと起きられる自分、しっかり者の自分、整理整頓、キレイな部屋、いろいろと想像してみますが、なかなか難しい。

分かっているのに、出来ない。

世の中ではこれが当然、出来ないのは甘え、だらしないだけ、しかも女性でこれはヤバいだろ、と思われる事ばかり。

ADHD、ADDは“生きにくさ”を感じる事が多いそうですが、こういう事なんでしょうかね。

……違うかな?


ま、いっか。

さて、寝よー。