ADDだけど寝る

アラフォーにして、ADDが判明。
よく気の利くキレイ好きなしっかり者の女性になりたかったけどなれなかった。
ADDな自分をふまえて、過去と今を考察してみる。

家族って

家が汚い。

そうだ、友達を呼べば必要に駆られて掃除するかも!

以前、よく友達呼んでた時は結構キレイにしてた気がする!

⇒1週間後に友達(協力者Y)とウチで遊ぶ約束をする

燃えるゴミの日も2回あるし、資源ゴミの日もあるし、行けるっしょ。

⇒1日目

仕事疲れた……。

今日に限って残業3時間かよ……。

まだ日にちあるし、明日やろう。

⇒2日目

ゴミいっぱいあるなー。

何時間かかるかなぁ。

(ˇωˇ)スヤァ…

⇒3日目

昨日寝ちゃって燃えるゴミ纏めてなかった。

次の燃えるゴミまでには纏めないと汗

今日はダンボール片付けて……。

あれ、なんでこんな所にガスの請求書が。

しかも期限過ぎてる!

:;(´◦ω◦`);:

⇒4日目

ダンボール出せなかった……。

友達来る時はクローゼットに入れておこう。

ペットボトルは近くに捨てる場所あるから、そこに捨ててこよう。

あ、缶もあったんだ。

缶、缶……、出せるのは来週だ。

ヾ(・ω・`;))ノぁゎゎ

⇒5日目

結局、何もできてない……。

どうしよ、このままじゃ間に合わない。

とてもじゃないけど、こんな部屋に人呼べない。

どうしよどうしよ……。

スマホポチポチ……。

⇒6日目

もう、徹夜して片付けるしかない。

ゴミ出しは諦めて、とりあえずベランダに出すしかない。

でも、この量のゴミをベランダに出したら、近所迷惑なんじゃ……。

夜中に掃除機かけるのも非常識なんじゃ……。

やっぱり私、とんでもないダメ人間だ( ;∀;)

スマホポチポチ……。

⇒当日

「Y、ごめん。部屋片付かなかった。本当に申し訳ない……。美味しそうなランチがあるお店見つけたから、そこどうかな? どうかお詫びにご馳走させてくだせぇ。今日は全部エスコートさせてくだせぇ」

Y、まじごめんよぉぉ_○/|_



今日、昼寝してたら父親の夢を見ました。

家族の事に触れてみたいと思います。

我が家のしこり部分とでも言いましょうか……。


産まれた時、家族は両親、姉、父方の祖父、祖母がおりました。

小さい頃の記憶は余りありませんが、私が6歳の時に父親は病気で亡くなりました。

痴呆気味だった祖父は悪化し、施設へ入り、2年後に亡くなりました。

コロナ家、女ばっかり。


問題は祖母でした。

とても気が強く、嫉妬深く、わがまま。

母親はいつも振り回されていました。


以下、最近になって母親から聞いたものです。


結婚後のタイミングで、父親はずっとやりたかった仕事に転職したらしいのですが、嫁のせいで息子は仕事やめさせられたと嘆いていたとか。

また、姉が産まれると可愛い可愛いで離さない。

お昼寝も抱えっぱなしで母親に渡さず、夜泣きをすれば夫婦の部屋に入ってきて姉を自分の寝床に連れていく。

それはそれは酷いストレスだったらしいです。

自分で抱ける子が欲しいと作ったのが私らしく、母乳で育てて祖母には渡さないようにしついたそうです。

それなのにこんな娘に育ってしまってゴメンよママン( ;∀;)


父親には、子供にも会わせるし離婚もしないから別居して欲しいと頼み込んだものの、そこは自分の母親である祖母を無碍にできず、男泣きして謝っていたそうですが……。

病気になったのは、その板挟みのストレスもあったんじゃないかと母親は言っていました。

父親は、具合が悪くなって間もなく病院で亡くなりました。

その時私も居たのですが、うっすらとしか覚えていません。


母親はその後、子供を連れて出ていこうとしたそうですが、祖母に引き止められる。

「孫が居なくなったら死ぬしかない、死にたい死にたい。首吊って死にたい」

と、こんな感じで。

息子を失った悲しみもあるでしょうが、この「死にたい」攻撃は今後もずっと続いていきます。


その後母親は仕事を始め、私はとても寂しかった記憶があります。

痴呆が進んだ祖父は怖かったのですが、程なく施設へ。

祖母はそれなりに可愛がってくれていたのだと思いますが、何だか怖い。

私がわがままを言えば湯呑みが飛んでくる。

友達を呼んで遊んでいても、祖母の中の常識から外れた行為をすると怒鳴る(友達も)

「コロナちゃんのおばあちゃんて怖いねー」

と、よく言われました。


成長するに従って祖母の異常性に耐えられず抵抗するようになると、私には余り干渉してこなくなりましたが、母親と姉には相変わらず。


大学に進学すると同時に家を出ましたが、祖母の非常識な話を聞くたびに悲しくなりました。

そして、家から逃げた私は「ズルい」なと、今でも度々思います。

でも、耐えられなかった……。

帰省すればもちろん、祖母はいたのですが、できるだけ顔を合わせないようにしていました。


何度か母親に「再婚相手見つけないの?」「こっちで暮らそうよ」と持ちかけた事があります。

もしかしたらとても無神経な言葉だったかもしれません。

私が結婚でもしていれば、母親も子供の心配から開放されて自分の人生を進めたのに。

(姉は結婚してます)


でも、結婚てこんなに辛いものかと思うと、何が良くて結婚するのか分からなくなります。

その前に私が男だったらこんな嫁いらんけどなww



ちなみに祖母は昨年亡くなり、コロナ家は母1人娘1人でまったりと親子しています。

母親と祖母の話は、そのまったり中に聞いたものです。


母親に幸せが訪れますように(ㅅ´ ˘ `)

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