中学時代(私用の正義の誕生)
ゆで卵が好きです。
※ADD関係ありません
本日は中学生時代を振り返ってみます。
以前にも書いた様に、厨二病(?)的な思考に陥り、暗黒時代のプロローグとなります。
突然湧いたような“私用の正義”なるもの。
それまでは割と自己主張もしていましたし、自分の要求が通らなければ不満になったりと、何度も言うようにクソガキでした。
“私用の正義”は、なぜここでいきなり現れたのか、そしてなぜ今でも私を支配してるのか、まだ分かりません。
“私用の正義”は、私なりに考えていた“良心”の塊なのだと思います。
そして、まるで宗教の教えのように私が悪い事をしないように行動を監視しています。
“私用の正義”は、その教えを守らなければ酷い後悔と罪悪感を植え付けてきます。
“私用の正義”の教え
○自己犠牲こそ優しさ
○我慢する事こそ美徳
○人に必要な人間であれ
今初めて箇条書きにしてみましたが、うーん、よくまとまらないw
簡単な例として
誰かが何かを求めたら、私が我慢をすればいい事であればその要求を叶えるべし。
それによって私が不満を持ったとしても、それを相手に知られてはいけない。
それでは相手が気を悪くする。
構ってほしい、助けてほしいは表に出すな。
助けてほしいなら、自分が助けろ。
こんな感じでしょうか。
なぜ“私用の正義”なのかは、私にとっての正義であり、それは他の人に要求するものでは無いからです。
だから、自己犠牲が正しいとか、我慢するのが正解とか、本心では思っていないのかも知れません。
ただ、私の中にいる“私用の正義”が許してくれない。
結果として、相手の為になっていたのかと言えば、そうは限りませんでした。
当たり前です。
相手の要求を出来るだけ叶えて、甘やかしてるだけですから。
ただ、話を聞く、力になる、ここまでなら最後は「良かった(*´ω`*)」で終わりますが、生活に入り込んだり、お金が絡むと泥沼ですよ。
詳しい話はまた機会があれば書きたいと思います。
中学時代から脱線してしまった
中学生コロナはかなり落ち着きも出てきましたし、上記の理由で優しくおおらかなイメージが定着してきました。
多分。
そんな外面の内側で、私の暗黒時代は始まっていきました。
暗黒時代……
↑ちょっとカッコイイ