ADDだけど寝る

アラフォーにして、ADDが判明。
よく気の利くキレイ好きなしっかり者の女性になりたかったけどなれなかった。
ADDな自分をふまえて、過去と今を考察してみる。

嫌われる勇気というアレ

まずはコレを



日々この光景が見られる幸せ。
眼 福 也 ♥


ちなみにこの場所は私の布団の上真ん中。
こうなると動きません(二匹合わせて10㎏越え)
動かそうとすると「ヤダー!」という鳴き声を発し、布団をぐいぐい引っ張った所で動かざる事山のごとし。
そう、それが猫なのである。
しかもこの二匹のモフモフに顔を埋めても動じない貫禄、をしてそれにあやかって猫のかほりを吸引しまくりHPを回復する日々。
尊い。



と、我が神と崇める猫様のお話はこのくらいにしまして、タイトルに入れさせていただきました「嫌われる勇気」というもの。
もうこれ、あっちこっちに広まってて、そうだ、自分は自分でいいんだ! という人が増えてきたと思います。
大変結構な傾向かと思います。


そもそも誰からも好かれる人なんて多分この世に一人もいません。
だから素の自分を受け入れて貰えなくても気にしなくていいんだ、自分は好きに生きよう! と心機一転する人もいると思います。
でもね、心からそれをいきなり受け入れられる人ってとても小数な気がするのです。
人間てそういう生き物ですから、悪意を向けられて平常心で居られる人は相当悟りを開いた人か鈍感力にステ全振りした人とか、スゲー人だと思うんです。
頭では分かっていながら、実際悪意を向けられて何の感情も湧かないのであればそれはそれでちょっと危険信号のような気がします。


前提として。
そんな自分自身は世界中の人を分け隔て無く愛せますか?
私には無理です。
個人的な見解ですが、考え方、性格、相性、その他諸々、絶対に相容れない人って出てくると思うのです。
それは自分だけじゃなくて、相手も同様。


自分が苦手な人もいて、どうしても好きになれない人がいる。
でも、その相手にとっても自分は苦手で相容れない、自然な事でそれが分かっていれば必要の無いトラブルも軽減されるんじゃないかと思います。


例として私の場合。
好きな人:好奇心旺盛で行動力もあっていつも新しいものを求めている人
苦手な人:一人で行動ができず、何でも人頼みでしか動けない優柔不断な人


極端な例を書きましたが、これは私の主観。
逆に考えれば、私を苦手な人も多くいると思います。
代表的な所で思うのは、几帳面で何でも正確に進める事を良しとするミスを許せない人
こういう人からは嫌われます。
ほら、自分ズボラーですから、毎日部屋を綺麗に規則正しい生活をしたい人をすごくイライラさせてしまいます。


例えばじゃんけんのように、誰でも好きなタイプ、苦手なタイプってあると思うんですよ。
これはもうさ、嫌われる勇気とかの話じゃなくて千差万別の人がいる中で絶対に相性というものが存在する以上、あって当然な事じゃあありませんかね。


嫌われる勇気というか、私のようないい加減な人間が苦手な人がいて当たり前(むしろ結構な数いるかもね)、そして私も苦手な人がいる、同じです。
そもそも誰からも好かれる、って事自体が無理な話。
そんなもので悩む必要も嫌われるための勇気も必要も無い。
八方美人でいればまたそれを嫌う人だっている訳だし、全人類で誰からも好かれて全人類を愛せる人っているの?
いたら教えて欲しいよ。


こんな事は、本当はみんな分かってるんじゃないかな。
ただ、「嫌われる」「敵意を向けられる」というのが自分が否定されているように感じちゃって辛いんじゃないかな。
そうじゃない、ただ相性の問題なんだと思うよ。
だんだん仲良くなれるならいいけど、それが負担になるなら何とかしないとだよね。


相性が合わない人とはできるだけ接触を避けてストレス回避、あまりに粘着タイプの人なら周りのサポートお願いしたり、余りに重い場合は警察にお願いするのも有りだと思うよ。


何か伝えたい相手ありきの内容になってしまった……。


今日はこんな所で。

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